【福岡で創業100年越え】秘訣を探る・・・【小金丸彫刻工業】

2018/09/15

こんにちは、URUFUの前川です。(^_^)
通常の会社業務に加えて不動産業では判子や押印のある書類の扱いが多くあります。そして、福岡には歴史のある、いわゆる老舗と呼ばれる判子屋さんがあります。

何かの縁がありまして、店舗や工場を見学させていただく機会を頂きましたので、ご紹介させて頂きます。m(_ _)m



小金丸彫刻工業株式会社

明治38年開業の創業114年の歴史を持つ金型、判子、看板、その他彫刻全般を専門的に扱う老舗の会社です。明治38年と言えば日露戦争、日本海海戦があった年と言います。会社の年表も長いものになりそうです。

現在は福岡中央郵便局の道路反対側に判子の販売店舗を構えています。

↓当時の会社正面



↓現在の販売店舗



↓福岡中央郵便局の正面




バス停前の路面店で、お客さんの出入りが頻繁にあります。郵便局、銀行、官庁が近くにあるので、エリアと需要がマッチしているのでしょう。

また、昼時には店舗前のスペースをパン屋さんに貸し出されていて、毎回違ったこだわりのパンが販売されていて、こちらも盛況のようです。ハン屋とパン屋をかけているんですね、はい!



パンに押印する焼き印も作っています。




当時の作業風景↓



↓店舗にも、その面影が少し残されており、見せて頂きました。



和紙の薄葉紙と言うのでしょうか、カンナをかけた薄い木材の皮のように、非常に薄い和紙に筆で判子にする文字を書きます。それを裏返して印材にあてて転写して彫っていくというものです。文字自体の美しさはもちろんのこと、その細かな文字を書くことに驚かされます。

かつては、ベテランの職人さんともなると転写なしで、そのまま彫っていく匠もいたそうです。

こちらは、先々代の小金丸社長が自ら製作した自社の判子





当時の小金丸彫刻の社判です。文字や装飾が若干モヤっとした感じが、手彫りの味わいです。このモヤっとした感じ分かりますか?版画の世界でもそうですが、この味わいが印刷では出せない芸術的なものです。まさに一点物です!



判子の思い出

個人的なエピソードですが、判子には思い入れがあります。

高校を卒業して、認印を作ったり、銀行口座の開設で銀行印を作ったり、そしてバイクや中古車の関係で実印を登録したり、実印を作ると成人になった気がします。

私は、田舎の判子屋で実印を作ることになりました。父親の勧めで判子屋も指定がありました。

老境のおやじが一人でやっていて、正面が店舗で奥が自宅になっている一人でやっている昔ながらの判子屋です。店舗は薄暗く、電気スタンドの明かりで判子を彫っていました。

父親からは、このおやじが死ぬ前に実印を作っておけ、との達示を受けて当時実印を作りました。時は流れ、妹が成人した際に、自分も父親から言われたように妹にはそこで実印を作らせました。



実印を作る

正確には実印を作るという表現はおかしいのですが、実印として作る、ということです。彫ってもらっただけでは実印にはなりません。役所で登録して初めて実印になります。



印材を選び(実印は認印よりやや太めが一般的です)、古めかしい文字一覧の手本から文字の書体を選びます。実印は個人を証明するものですから、その人の性格や好みに合ったものを選べばいいのですが、男性なら印相体(印相体)と呼ばれる少し太めの盤面いっぱいに広がったグニャ~とした書体がかっこいいみたいです。

女性には、篆書体(てんしょたい)が柔らかみがあって人気とか。私の妹の判子依頼も、この書体だったような。また、将来結婚することを祈って名前だけの実印にしてもらった記憶があります。(^_^)

↓判子文字の手本書



彫刻マシーン

小金丸彫刻工業には販売店舗とは別の場所に制作工場があります。たまたまうちの会社の近くでしたので、寄らせて頂きました。



中に入ると、インクのような油のようなラボ的においがします。事務所の奥には、制作現場が広がり、様々な機械が動いています。工場好きにはたまらない風景でしょう。
現代式の自動制御の機械もありますが、目を引くのは前時代的な彫刻機(正確には名前があると思いますが、以下「マシーン」と名付けます。)です。



鉄製の重厚な色合いと存在感があります。実際に、重量は1台でも何百Kgなので、工場建物は鉄骨造の頑丈なものです。第2次大戦後すぐの朝鮮戦争の頃から使用されていて、自動制御の機械がない時代の主力マシーンです。今では、使いこなす職人さんは少ないそうです。

それでも、曲面や歪な面に彫刻する際や、細部の作業の際に、現役で使われ続けているマシーンです!すごい!



原版となる模様や文字をなぞると、それと連動した針(削る工具)が、プレートや印材を削るという仕組みです。もともとドイツ製の物をアメリカ経由で日本に入ってきたものだそうです。


↓こちらが原版となる文字



↓年期の入った原版の入った引き出し



工場と職人さん

工場には職人さんって感じの従業員の方々がそれぞれの作業に従事されています。その中でも、ベテランの中島さんに、直接お話を伺う機会を頂きましたので、ご本人の紹介と小金丸彫刻工業さんの歴史のインタビューをさせて頂きました。

中島伸昌さん 70代 勤続50年以上



実家は佐世保の判子屋さんでしたが、まだ幼い頃疎開のため福岡に移住してきます。今では、長崎から福岡に疎開って、より都会に疎開するって変ですが、私も長崎出身なので少し補足しますと・・・、

当時長崎は、軍港・三菱の造船工場・海軍航空部隊など軍都と呼ばれる都市がいくつもあったため、空襲や最終的には原爆まで落とされるといった民間人には九州では比較的危険な地域でした。当時日本中どこであっても安全な地域は無かったでしょうけど。

↓腰かけているのが少年時代の中島さん




明治から続く小金丸彫刻工業は、当時すでに九州でも名の知れた大きな会社で、九州各地から職人見習いを受け入れていました。匠に付いて技を見聞しながら腕を磨き地方に戻り個人の店を開ける、そんな時代だったのでしょう。

戦後すぐの貧困期から日本が脱する転機が訪れるのが、お隣の朝鮮戦争の勃発です。様々な物資の需要が急増し日本経済は活性化します。小金丸彫刻工業もその波に乗ります。

朝鮮半島と目と鼻の先の福岡は、当時多くの米兵が駐屯しており、ジッポライターへの彫刻、名前や称号プレートの刻字などの受注が増えます。判子やゴム印を彫る長年の技術を生かし、金属やプラスチックへの彫刻を多く手掛けていきます。

その技術とノウハウは現代まで綿々と受け継がれ、判子、ゴム印、自動車部品や機械部品への刻字、議会のネームプレートや道路標識に至るまで様々な分野で生き続けています。伝統を生かし、現代の需要に合わせた商品開発も面白いものもあります。

↓博多ゴム印、とってもかわいらしいデザインです



↓よく使われる博多弁をテーマにした判子たち



小金丸彫刻工業に育ち、戦後から見守り続けた中島さんも、もう定年を迎え次の世代にバトンタッチの御年ではありますが、会社にとって若手にとってまだまだ名アドバイザーとして活躍されているようです。ご本人は、時間があるので工場に遊びに来てるだけ、とご謙遜。

職人と聞くと、堅物で無口でとっつきにくいというイメージ(テレビの影響か)ですが、中島さんは、笑顔が素敵で気さくに何でも話してくれる優しい"おじいちゃん"です。ご趣味は・・・ダーツですって!

やっぱりダーツの針っぽいところが長年彫刻に携わってきた流れがあるのでしょうか。
"いや、即座に点数計算をしなきゃいけないところが、頭の活性化に良いんです"って。いつまでもお元気で、技術と精神を伝え続けて頂きたいと思います。



まとめ

今回は伝統と技術を現代に残し続ける判子屋さん小金丸彫刻工業さんを取材させてもらいました。そこには、伝える人がいて受け継ぐ人がいました。

日本は世界的に見たら長寿企業が多いと言われる国ですが、言い方にによっては100年続く企業は国内で3%に過ぎません。
"百年続く企業の条件 老舗は変化を恐れない"帝国データバンクにあるように、業種の特殊性・特化性だけで生き残っている訳でなく、小金丸彫刻工業が朝鮮戦争期に今までの技術を応用して進化したように、時代の需要に反応する能力が必要です。

また、社風というか精神的な何か根底にあるものがしっかり備わっているような気がします。中にいる人間は入れ替わりますが、その精神は技術と共に脈々と受け継がれていきます。

判子やプレートには、名前や社名が彫刻されます。機械部品には、製造月日や製品番号が刻字されます。それらには、個人や集団の魂が宿っていると考えられます。それら大切なものを扱う彫刻会社ですから、社員一同綿々と受け継がれた精神を保ち得るのかも知れません。

URUFUも、かくありたい。

小金丸彫刻工業 天神
【所在地】福岡市中央区天神1-13-19
     天神MARUビル 1F

【TEL】092-751-1636
【HP】http://www.koganemaru.jp
【交通】地下鉄天神駅12番出口から徒歩1分



前川和俊

不動産売買デベロップメント(株)一社員 開業支援のコンサルティング会社を経て、個々の独立開業のお手伝いをしてきました。 不動産との係わることはこれまでにもありましたが、本業として不動産業に携わるのは初ですので、 業界の疑問点や改善すべき慣習にピュアに取り組んでいます。 福岡を主に九州他県や地方からの情報発信を行ってまいります。